2018〜2022

 昨年六月十三日をもって、わたしの鬱は消えたという。結局のところ、わたしは義務感(十八年九月述)を自分勝手と諦念で相殺しているだけであるので、現在も普通に病みはする。しかしせっかく一年が経過したので、過去の鬱日記を下に記す。

1804
たとえばの話で、世界の人間全員の存在価値の総和が一になるとしたら、人一人が同じ分量の価値を持っているとしても、世界の人口分の一になる。で、世界の人間全員が同じ分量の価値を持っているかといえばそうじゃないし、私は多分その平均よりずっとずっと少ないんです。秀でた才能を持ち多くの人々から求められる人より、もっと低くても一般的な高校生より、全ての面で遥かに劣っている人間ですらない私の価値なんかもうノミ以下なんですね。
上の話はちょっと大きすぎるので、私の周囲だけに話を限定しましょう。私はいじめがきっかけでキャラを変えていて、最初は上手くいっていたけれど元が死ぬほど根暗なのでギャップにしんどくなってきたわけです。それを誰に相談しようにも、高校で知り合った人は絶対に無理だし、家族にもキャラを作ってたし、過去の自分を知っている高校以前の人たちとは全員縁を切ってたし、本来の私を知ってる人なんかもうどこにもいない、それってもうイコール存在価値がないってことだと思うんです。
だからどこからどう見ても私の存在価値は皆無で、それ(自分のことを知っている人が一人もいないこと)は本当に辛いけれど、だからといって生きていく上でそれを知られたくはないし、死んだら何も考えずに済むし、自殺なら「アイツは自殺をするほど世の中に辟易していた」とみんなわかってくれる。つまり死ぬのが一番手っ取り早いし精神的にもすごく楽なんです。
今までゆっくり自分のペースで生きて溜め込まずにきちんと話してねってたくさん言われてきたけれど、それがどんな善意で言われていたとしても、自分のペースで生きた結果いじめられたのだからそんなことできるわけないし、私は遠慮して溜め込むと思うし、多分また死ぬと思います。

1809
私の人嫌いは人との関わりが苦手とかそういうレベルではなく、生理的に無理なところ(例えば人が吐いた二酸化炭素が私の身体に触れるのが気持ち悪いみたいな)にまで達していて、なので私は死ぬしかないんです。この死ぬしかない(希望ではなく義務)という気持ちは私の心の底に根強くこびりついています。普段は意識していないけれどいつも心の何処かにあって、それが私の行動を決定しているみたいな感じです。でも意識したが最後止まらなくなるので何らかの対処が必要で、でも浮かんできた気持ちをとりあえず抑えることはできてもこびりついたものは簡単には剥がせない。なので「死ぬしかないのは私が生物と共存するのに適していないひとの成り損ないだからで、それは仕方のないことだ」と考えるようにしました。こうすることで、こびりついた気持ちの質量は変わらないものの、わりかし軽くなりました。でも、そこに他人の善意が関わってくるとネガティブな方向に転がっていってしまいました。例えば家族が私の整形代を払ってくれたこと、切っ掛けは他人であれど決断を下したのは私であって、その決断は生き易くなりたいっていうエゴでしかないじゃないですか。成り損ないで生きることを諦めているくせにそんなことを考えて、それならまだしも他人まで巻き込んで、しかもその相手が私は何も悪くないのだからそれで良いと思っていることも悲しいし、何より可哀想で仕方がない。どう足掻いても社会にいて人と関わる以上私は他人に迷惑かけっぱなしのクソ野郎で、迷惑をかけないようにするには社会にいてはいけなくて、存在を社会から完全に隔離するにはやはり死ぬしかないですよね。でも怖いから死ねない。クソ。

2003
世間一般の人間のように幸福を幸福だと感じる器官はあるのだと思う。楽しい時は楽しいし、面白いことは面白い。ただ、それらポジティブな感情を心に留めるための箱に底がない。ばらばらこぼれおちちゃって、だから多分わたしは整形をしようが薬を飲もうが明るく振る舞おうが幸福だと思うことはできない。一生。幸せになれると思っていたし、幸せになれそうな道もいくつか残されていることも知っている。幸せになるただそれだけを光にして生きてこれたのに、そんなんなかったことがわかって、もうどうすればいいんかがほんまにわからんくて、もうむりで、そんなんわかりきってて、でも死ぬのは怖い。

2009
死にたくはないけど死ぬしか道は残ってない

2012
こころの傷跡を閉じるために刺した釘にどんな些末なできごとでも引っかかって、その重みで釘が下にずれていくからまた傷ができて、というループがあるんです。ふと、もとの形も掴めなくなってしまったことを実感した瞬間に、「わたしは何をしているんだ? この行為、生きていることに意味なんてあるのか? 一生この痛みと付き合っていくくらいなら」と考えてしまう。

2108
多分めちゃくちゃ幸福なんです、両親も健在であるしわたしのこと養う金もあるしわたしのこと多分愛してるし職場の皆も仲良くしてくれるし、でも、わたしは自分のことを幸福だと思えない、思えないつうか幸福を覚えていられない、ネガばかり覚えている、お前らがつけた傷忘れねえからな一生 幸福が嫌い、なのかもしれない、幸福になるの怖くない? 怖いよ だって幸福になるべき人間じゃない わたしはゴミクズです 幸福になりたい 何も考えずぬるぬる生きていけるくらい能天気になりたい 何故両親の死を願ったり確証もないのに嫌われていると錯覚したり金を湯水のように遣ったりわざわざ自ら死ににいったりするのか だってわたし死ぬべき人間であるしだって死ぬことによる迷惑より生きることによる迷惑のがデカすぎる社会のゴミなので、あと死んだら楽 極楽浄土とかないけど けど今から死んだところでアイツには一生勝てんし 多分私よりしんどいひといるけど私の勝ちだよ その通り 人生が粗相 その通り 死ね その通り でも死ぬのはこ〜わいっ! 終

2108
正気さえ失えば人間わりと死ねる これに尽きる マジで半狂乱やった、何故死にたくなったのかもあまり覚えていない、多分前日ODしたのにすっきり目覚めただけで何もなかったから悲しくなっちゃったんやと思う やってる時は苦しさはあったがそれより死ねないことが嫌でした 辛かったです 計六回くらいトライしたと思う 二本目のハンガー、引っ掛けるところが体重で伸びちゃって、床にゴロンして、ここまでやったならいいやろ(?) と思っていた したら眠りに落ちた わりと楽に 薬飲んでたからそれもある筈 ブロチゾラム十一錠とアナフラニール十五錠くらい 死んでみた結果として、今までおった「死ぬしかない」は恐らく完全に消えました 逆に今まで何をそんなに悩んでいたんだ? とも思う その代わり 代わりつうか上書き? なんですけど 死への恐怖もちゃんとなくなった いっぺん死んだしわたしやろうと思えばいつでも死ねますよ? のメンタルです 痣は可愛い 可哀想でよい よくはない フォロワーには申し訳ないことをしたなと思う

2201
「感謝イコール幸福だ、ささやかなこと当たり前のこと、日本に生まれてこれた(衣食住が提供され治安も良い)ことに感謝をしろ」 「『自分』が『幸福か否か』」は主観で判断されるものであり、「『生物』として『恵まれているか否か』」という客観的な判断とは違うのでは わたしは確かに恵まれている、が、自らを不幸だと思っているし、わたしはそんな不幸な自分が可愛いし不幸な自分以外を気にし剰え感謝するなぞそんな必要がどこにあるのかと思うしでも他人の何気ない所作視線一言で被害妄想が肥大化し心がスクラップになってしまう 自己愛と自己嫌悪の狭間で死んでいる

2204
人と関わることが怖いです。とても強い理由がないと、生身の人間がいるところに出たくありません。怖いです。どれほどの治療をしてもらおうが、どれだけの人と関わろうが、いくら自己肯定感を高めようが、治りませんでした。怖いです。この人が怖い。何故この人はこのようなことを言うのであろうか。善か偽善か、どちらにせよわたしにとっては悪だ。生命を脅かす存在だ! 人を殺すことは罪となり、死ぬこともできずに檻の中で生きてゆくしかない!

2204
人と話すことは、できなくもない。話さざるを得ないなら、話すとこちらに利益があるなら、初対面の人間に対してもアホほど喋るし、アホほど笑うし、アホほど悲しむことができる。そうしないといけないので。そういうことで、うわべの付き合いはそれなりに得意なほうだと自負している。問題は、それなりに親交を深めた人間との会話だ。わたしは、そういう人間には、気を遣わなくなるきらいがある。脳死で話してしまうし、脊髄がゴミカスであるため、無意識のうち、人を不快にさせてしまう、と思っている。彼らがそう感じている素振りがなくとも、思ってしまう。
地球は生きにくい。理解されないし、傷つけられるし、救われない。誰といても生きにくい。理解できないし、傷つけるし、救えないから救わない。だから苦手、嫌い、怖い。わたしは地球外生命体であるのかもしれない。だからどこかの部分で地球に迎合できない。しかし地球から逃れることはできない。わたしは紛れもない地球人で、地球でしか生きられない。

2210
たくさん嬉しい言葉をもらってきた人生ですが、わたしは頭悪いし、ブスやし、利己的やし、ゴミクズですし、他人より遥かに劣っているし、人権獲得しちゃ駄目だし、世間様にひどい迷惑かけるような死にかたをするよりも息してるほうが迷惑やし、つまり死んだほうが良いし、死ぬべきやし、しかしそれの何がわり〜の〜? 迷惑万々歳! 迷惑かけられたくないなら放っておいてくれ関わらないでくれ! 肯定も否定もするな! 無関心でいろ! よしよしもぺちぺちもするな! 触るな! わたしのおつむはわたしだけが撫でられんのよ! こころを撫でられてもわたしはそれに値する人間ではないと思うし、その言動がほんとうのものだとは思えない わたしのこと好きなの、ほんとうにありがとう、わたしも大好き、でもきみの見るわたしってたぶん好きフィルターかかったわたしですからね、期待はしないでね

2211
死ぬことを考えても特に感情は乱れないのに、生き続けてしまうことを考えればどうしようもなく辛い 辛いのが嫌なので死ぬことばかり考えている わたしは大昔から二十七歳で死ぬと決めているので、今はそれで普通に生きている 死ぬタイプのギャル卍マインドで生きられている ただ、現時点でわたしには希死念慮がない、死にたいと思えない、しかし生きたいとも思わない、死ぬ気力もない、自然発生するエネルギーすべてをあと六年ほど生きるために消費している 言われたからね、わたしは天才なので二十七で死ねばいい しかし二十七歳を過ぎても希死念慮が発生しなかったら? 死ぬ気力がなかったら? ニブイチの確率で死ぬことも生きることもできない廃人になってしまうのかもしれない 酒を飲み煙草を喫い布団の中で息をするだけでいることがほんとうに辛いとわたしは知っている だから嫌なんだよ生きることを考えるのは こころは絶好調 怒るととてつもなく元気 生まれたくなかった、なぜ親のエゴでこちらが差異に苦しまなければならないのか理由がわからない、子を成した人間は須く嫌い、能天気に生きたい、能天気に生きたくない、普通になりたくない、普通とレッテルを貼られればアイデンティティが崩壊する、鬱が治り外に出られるようになったことも、働けるようになったことも、辛かった、生きることに向いていないことだけが救い