2023/1/22

 秩序ある思考ができない。ひとりで話していると、ガリレオの生涯について語っていたつもりが、いつの間にか大富豪のルール説明になっている。今までの日記もそうであった。思考を思考のまま書き連ねれば、収集がつかなくなるだろう。不要な部分をカットし、段落をつけ、入れ替え、それっぽく見せていた。もしかすると、わたしの意図せぬところで、わたしなりの秩序があるのかもしれない。わたしはわたしの秩序を知りたい。「畢竟、おまえは、おれが死んでも涙を流さない」。「あなたが奪えるものなんて、私にとっては取るに足らないものばかりでしょう。私はあなたなんかに損なわれない。そんな私が好きなんでしょう」。今しか考えない。それはわたしのアイデンティティの一つである。きっと昔のわたしは未来を考えると死んでいた。余裕がなかった。選び取る自由はあってないようなもので、よろこびのうたさえ歌えなかった。今は余裕があるので、毎日十三時に起き、体重管理をし、家計簿をつけている。そう考えれば、本当に余裕がなかった。余裕がない期間が長すぎて、今のわたしを天才だと思ってしまう。でも人生において重要なところは結局ノリと勢いだ。金原ひとみクラウドガール』を読んだ。わたしはきっと、ママに感情移入する。次点で杏。理有ちゃんは嘘つきだと感じた。姉のことは知らないが、きっと理有ちゃんを正しいものだとするだろう。姉はクソ真面目な人間だ。母の胎から努力の才能すべてを掻っ攫っていった。わたしはいまだ努力ができない。手の届くうちで一番の高みを目指したい。父もそういうタイプらしい。父はすごい。腕のリーチがあまりにも長い。長すぎるがゆえに、心がついてこられなかったのだろう。わたしの神さまだったひと、今はうつを患う小学生男児である。姉はうつなのだろうか。うつって遺伝するもの? わたしは遺伝でないと思いたい。わたしのアイデンティティは所詮与えられたものだったなんて信じたくない。あいつらのこと一生忘れない。名前も出身校も覚えている。よく話していた人間の名前は忘れた。感謝している。わたしは、わたしを愛さない人間からすれば、目に障る存在である。図書館に行かなくてはならない。『デルトラクエスト』、『灼眼のシャナ』、『ロード・ロス』が好きな小学生であった。本屋に行きたい。金原ひとみ『AMEBIC』はとても面白かった。最高であった。店長に「お前メンヘラなん?」と問われた。金原ひとみはメンヘラが読むものらしい。頭の良いメンヘラ、最高で最悪。隙のない自論で他者も自己も傷つけることができる。綻びにも対応可。会話が面倒で適当に嘘をつくことは悪癖である。自分の首を絞めるだけなので治したい。ぎちぎちの縄を解くほうが面倒だ。それでもしれっと嘘をつく。勤務先に、顔面にほんのりユンジンを香らせたお姉さまがいる。彼女はいつも怒っている。怒りはエネルギーになるので、良いことだと思う。それに、怒る美人は迫力がある。目の保養になる。流石に入れると痛いのであろうが。スケープゴートを仕立て上げたい。他者の株を下げ、その上で自分の株を上げたい。そうやって生きてゆきたい。楽に上手に生きてゆきたい。「知能指数は高いが生き抜く知能がない」と言われることは嬉しい。馬鹿で、哀れで、与えられた免罪符、降り注ぐお恵み。そのわり、要所でそれなりの発言力を持つ。最高である。「永遠」なんて言葉を気軽に使わないでほしい。無責任なことを言いたくない。捨てられたときにどうなる。ゴミはゴミ同士ゴミらしくゴミ箱で乳繰り合っていればそれで幸せなのに。人間と同等の生活を与えられたから。愛されたから。「幸せになるためにわたしを利用して良いよ」と「わたしが幸せにしてあげる」は違う。相手がどう思うかは別として。それは自由だ。親はわたしを愛しているのだろうか。実は愛していないのかもしれない。愛されていると勘違いしているのかもしれない。しかし、食う寝るところ住むところを与えられている。「うらめしや」の対義語は「表は風呂屋」らしい。面白い。爆笑しちゃった。珈琲の飲み過ぎで腹がきゅるきゅる鳴る。休憩中の職場は静かだ。会話がない。わたしは毎日ご飯を食べながら腹をきゅるきゅる鳴らす。テキトーな慰め、テキトーな愛、わたしがお前ならわたしのこと殺してるで。お前よく耐えてるな。「わたしヤンマガのルフィやから、わたしの人生譚とか千年後には聖書より人気になっとるから」。わたしの発言、我ながら大好き。宗教やりて〜、思想でぶん殴りて〜。わたしの物語に登場する「親」は基本最悪であるが、わたし自身は親ガチャ大成功者である。女親は意味のわからんスピで三十年もののうつを治した。青い一升瓶、講演会、書籍、それだけでウン十万円は飛んだと記憶している。しかしそれらは彼女が地道に貯めた小遣いしか蝕まなかった。わたしが異性愛者でなくとも、わたしに子どもを産むつもりがなくとも、「あんたはそうやろな」で済ませた。わたしのうつが治った直後、つまり他者と話す気力が湧いた頃、ぺちゃくちゃと詮無い会話をしただけで、「話せて嬉しかったから」と、Kindleにて結構な冊数の漫画を購入し、わたしに端末を与えた。優しすぎるやろ。絶対わたし愛されてるんやけど。そう思うことも自由だ。この思いは不自由だけれど。借金も踏み倒せるのに。もやしも好きなのに。ある程度の生活が担保されるまでは脛を齧らせてほしい、その気持ちのほうが強い。貧乏は不自由である。しかし、うしなうものがないと自由である。考えることが面倒になってきた。そうやって理論化作業を放棄し、楽なほうに飛びつき、秩序がなくなるのかもしれない。逃げろ! しかし、上記を見るに、わたしの思考は連なっており、主軸もある。言葉が足りないだけである。わたしはわたしの秩序を築いている。